一億二千万人総ざんげ

 秋葉原における無差別殺人のニュースに愕然としてしまった。最近の理不尽なできごとには目を覆うばかりである。


 「世の中がイヤになった、誰でもよかった。」


これまでに起きた無差別殺人の犯人に共通する言葉だ。こうした事件が起きるたび、「なぜそうなったのか?」をわれわれは追っかける。その責任は、本人はもちろん両親にも向けられるのだが、果たしてそれだけでことは解決するのだろうか?

 解決への処方箋としてナイフなどの規制を強めるという論議も湧き起こっているが、それで根本的な解決に至るのだろうか?

もちろん、短期的な処方と長期的処方の両面を考えていかなければならないと思うが、私は今こそ、一億二千万の日本国民すべてがざんげしなければならないと考える。もちろん私もそのひとりだ。

 今回の事件は、今の日本社会が生んだ事件とも言える。「良い点数を取る子が良い子、有名校に進学し、一流企業に勤める子がエリート」ということで5教科以外のポジションが低く見られがち。本当は人間力形成にとっては音楽や美術などの影響が大きいはず。

 また、企業社会においては、「大きい会社が良い会社、会社は儲かりさえすればそれでよい、勝ったものが偉い」といった価値観がかっ歩してきた。

 一方、我が家でも時代の流れだからという理由でゲーム機や携帯電話を子供に与えてきた。

「社会が悪い、政治が悪い」と言ったところでそれを形作っているのはわれわれ国民ひとり一人である。他を責める前に


「私自身も責めを負わねばならないのではないか?」


すべての国民がそう反省するところにしかこの社会を良くしていく処方箋はないように思う。
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by yongenso | 2008-06-11 18:17 | 四元重美ブログ


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