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大自然の摂理への挑戦

子宮を摘出して子どもを産めなくなった30代の女性に代わり、この女性の卵子を使って50代の母親が妊娠、出産していたことが明らかになった。

祖母が孫を産む形の代理出産で、国内では初めてのこと。子どもは戸籍上、妻の実母の実子として届け出た後、夫婦の子として養子縁組した。私はどうしてもこれには納得しがたい違和感を覚える。

「体外授精した卵子を祖母の子宮に移植することは間接的なセックスだ!」とは言いすぎだろうか?

今回実施したのは、こうした問題でたびたび登場するN院長。この院長は「わが子がどうしても欲しいという夫婦の素直な感情をかなえてあげるのは医師として当たり前」というが、果たしてその当人だけの問題で済むのか、はなはだ疑問である。そもそも、

子供は神からの授かりものである

と私は考えている。なぜそう言えるのか?

私の父、母、祖父、祖母を永代にわたってさかのぼっていった場合、そもそも私の祖先は猿なのか、微生物なのかという議論にたどり着く。そう考えると、もうこれは

神(大宇宙の創造主)が与えて下さった

としか言いようがない。

そうした観点から科学的な方法を駆使して子供を“授かる”ではなく、“作り出す”発想は危険な匂いがしてならない。

また、別な観点から子供がいてもいなくてもそのどちらも受け容れるという考えも必要ではないだろうか。

そりゃあ結婚した以上子供はいた方がいいだろう。ましてや障害だってない方がいいに決まっている。しかし、結果として子供ができない、障害を持って生まれたことを受け容れる必要もあるのではないか。

我々人間社会に何一つ不自由のない状況が生まれた場合、果たして人間は感謝して生きられるか?

子供のいない家庭、障害の子供を抱えた家庭、そうした人たちを身近に見るからこそ、

「自分たちはまだ恵まれているではないか」

「子供が健康でいるだけでいい、不足の思いをするのはやめよう!」

という感謝の念につながると思う。

それをすべて科学の力によって可能にすることは「神」への挑戦とも言える。そこまで人間は傲慢になっていいのか…。

人間が従うべきは大自然、大宇宙の摂理ではないのか。そう思えてならない。
by yongenso | 2006-10-16 12:04 | 四元重美ブログ


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