こだわり執着病を克服せよ!

「私は○○産の材料だけを使って料理を作ります。だからこの味には絶対の自信があるんですよ」

「このバッグの縫い方はウチ独自のものでちょとやそっとじゃ型が崩れない優れものです。だから他店より5割も高いんですよ」

というように商品やサービスで“こだわり”を持っている人がいます。確かにそうしたこだわりが消費者に伝わることによってその商品やサービスは売れていきます。

私も自分の仕事にこだわりを持って生きてきたつもりです。しかし、そのこだわりが虚構だったと気づかされました。昨年に引き続き鹿児島大学の社会人向け講座で3時間講義をすることになりました。テーマはほぼ昨年と同じなのですが、若干昨年の反省もあって原稿は一部差し替えることになりました。

ところが、その準備に殊の外時間を取られてしまい、なんと12時間ぐらいを費やしてしまいました。これでは報酬と掛けた時間のバランスがとてつもなく悪いです。

昨年のデータの一部差し替えですからそこそこ3〜4時間ぐらいでできると思っていたのですが、とんでもないことでした。なぜこういうことになってしまったのか?

それは私の


“こだわり”


だったのです。こだわりといえば格好がいいのですが、余計な執着といった方が正しいかもしれません。原稿の一言一句に完璧を期そうとするのです。「ここにこれがあったらいいな」「ここの表現はちょっと弱いから写真を持ってこよう」ということで際限なく原稿を書き直してしまうのです。

私自身、今度の一件は落ち込みました。なぜ儲かりもしないことをここまでやらねばならないのか?と。そこでもう一度深く考えてみました。


私が本当に完璧を期すべき部分はどこか?


私は広告屋,広報屋です。広告・広報は何のために存在するかと言えば

「企業の業績を上げる」

「企業イメージを向上させる」

ということに集約されます。とすれば、本来私が完璧を期すべきところは


「企業繁栄」という根っこの部分


です。しかし、今回の講義は一社会人でしかも意志決定権のない人たちです。ということは企業の根っことはなかなかつながりにくい。コストパフォーマンスを考えた場合、私がこの講義のためにこれだけの長時間を割くというのは正しい選択ではありません。

私がこだわっていたのは、表現上の枝葉の部分であって、根っこの部分ではなかったのです。

「Time is Money」

をもっと意識すべきです。

むろん、私が講師業を本業としているならこだわるのは当然かもしれません。しかし、私は講師業は本業ではありません。もちろん、医療界において自分自身の本業を伸ばすために講演や研修を行うことはどんどんやっていこうと思っています。私自身の目標が「医療施設の口コミ創造支援業」なのですから…。

です。結局、私がこれまで自分の目指す方向とは一致しない講演を引き受けてきたのは、単なるマスターベーションでしかなかったような気がします。「先生と呼ばれたい」というようなやましさと、どこか偉くなったような錯覚に陥っていただけかもしれません。

私は、


もっともっと私自身の役割、目標に忠実であるべき


ということに気づかされました。
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by yongenso | 2008-06-26 18:48 | 四元重美ブログ


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