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『社員の意欲向上』導入剤

私の所属する会で外食産業チェーンの社長のお話を聞く機会がありました。

レストラン、仕出し、結婚式場、市場など25店舗を展開するその会社では、画一的なマニュアルサービスではなく、そのときその場において、一人一人のお客様にどうしたら喜んでいただけるか、スタッフ自身が判断しておもてなしすることを目的に、『お客様に花一輪添えるサービス』を展開しているそうです。


そのサービスのほとんどが上からの押し付けではなく、社員自らの発案によるものだそうです。そのお店で実践し、その結果お客様に喜んでいただいたこと、逆に怒られてしまったことなどのエピソードがそれこそ1,000個ほどあるそうですが、今回それを100個厳選して本にまとめられたと言います。


内容のほとんど、というよりお店に寄せられる意見や便りがお褒めの言葉だそうですが、褒め言葉は社員のやる気、元気、更なる工夫につながっていきます。

人間は、社内において上司や同僚から褒められるとうれしいものですが、お客様からのお褒めの言葉はまた異なる質の喜びです。


人間は誰しも「人の役に立ちたい」、「新しいサービスでお客様に喜んでもらいたい」、という希望を持っています。そうした社員の意欲をどんどん発揮していけるような環境を作ることこそが社長の役目なように思います。


社員が自ら考えてお客様を喜ばせて、結果としてそれが企業の収益につながる。今更ながら社員の喜びを原動力にして企業を運営していくことの重要性を再認識しました。
# by yongenso | 2012-06-16 11:54 | 医業PRのヒント

PDCAの新しい形

久し振りの投稿です。

私の学ぶ経営者の会で興味深い話を聞きました。

『7:2:1の法則』というものです。これは人間の学びの共通したパターンらしいのですが、その図式はこうです。

「7」…自らの体験を通して得た知識やノウハウ

「2」…他人のやり方や考え方を参考にして、自らのやり方を変えていくこと

「1」…本やネットから学ぶこと

それを今後は「5:4:1」くらいの比率に変えることが自己成長への近道ではないかという論理。自分一人で何もかも覚え、実験し、検証していくのは時間もかかるし、果たしてそれが正しい選択だったのか疑わしい。

もちろん、他人のやり方が正しいとは限らないし、ましてやこの世の中に「正しい」「正しくない」というモノサシが明確にあるわけではない。だから、他人のやり方が当てはまらないこともあるでしょう。


しかし、その人が実際自分で試行錯誤し、良かった面、まずかった面をしっかり検証して披露されたものならば、まずは自分に活かせないか、考えてみる必要がある。自分に代わって実験をしてくれたのであるからこんなにありがたいことはない。

そんな観点からして、私の所属する会のグループ討論という仕組みはよくできていると思う。自らの体験談を語ることによって、自分ではたいしたことはないと思っていても、ほかの参加者にしてみればアイデアの宝庫だったりする。

そういう訳で私も「人のふり見てわがふり直せ」を実践すべく、今日あるコンサルタント(本人はコンサルタントと名乗るのは性に合わないといっていたが…)と昼ご飯を共にしました。先日のフェイスブック交流会でお会いした方なのですが、その方のビジネスモデルがどうも気に掛かりもう一度会いたいと思っていたのです。


その人は「営業のプロ」で、特定の業界向けに企業の営業代行やセミナー講師、社員教育、集客サポートなどを行っており、自らがその業界にいたときの実績やノウハウなどの成功体験をパッケージにして売っているようです。現在は、県内はもとより九州および遠くは関東まで仕事で飛び回っているとか。

今日、お昼を共にしたことでゆっくり話を聞くことができ、また私自身のビジョンも聞いていただいたお蔭で課題が少し明確になってきました。


後は、PDCAサイクル(Plan→Do→Check→Action)を果てしなく繰り返すのみだが、これに新しい形として「Reference(参考)」を付け加えたい。


PDCAR

です。私自身、「人のフリ見てわがフリ直せ」の精神を4割に伸ばすためにも、できうる限り修行道場ならぬ会で切磋琢磨することを心掛けていきたいと思います。
# by yongenso | 2012-06-12 15:55 | 四元重美ブログ

議員を先生と呼ぶべからず

先般鹿児島市議会議員選挙が行われ50の議席が確定した。自民党が堅調だった一方、民主党には逆風が吹き荒れ、勢力が4割減という厳しい結果に。明るい話題としては新人が9名当選したこと。この新人が今後どのような活躍をしてくれるか楽しみだ。


今回、議会改革を唱えて闘った現職・新人がいたが、我われ有権者の側にもその真意をしっかり見極める義務がある。県都鹿児島市の議会改革の一つに定数削減がある。この問題は昨年9月に議員提案されたが、反対多数で否決された。

しかし、である。イザ選挙戦が始まると当初反対した議員の中には削減を堂々と謳っていた候補者もいた。盗人猛々しいとはこのことだ。こうした一つ一つの行いをわれわれ有権者はじっくり見ていかなくてはいけない。

さて、今日の私の提言。


議員を先生と呼ばない運動


だ。議員は住民の願いを聞いて政治に反映させる代弁者であって先生ではない。私なりの先生の定義は「教える人、指導する立場の人」だ。そう考えたらどうも議員は「先生」ではないような気がする。

ではなぜ議員を「先生」と呼んではいけないのか?

それは、いつしか

当人から「謙虚さ」を奪い取ってしまう

からだ。新人、あるいは若い頃はこの麻薬みたいな言葉をかけられても、厳しく自分を律していこうという気概がある。しかし、ベテランになればなるほど、先生ゆえに知らないことも知っているように振る舞わざるを得ないし、ペコペコ頭を下げると威厳が失われてしまう感覚に捉われてしまう。

では、何と呼ぶか?「●●さん」、もしくは「●●議員」、役職に就いているとすれば「●●委員」でもよい。


こうした慣習を作ってきたのは我われ国民の側にもある。国民自身も反省しつつ、議員には常に謙虚さを保ちながら、行政当局が提起する案をしっかり吟味し、長期的視野に立った活動をしていただくことを望みたい。
# by yongenso | 2012-04-18 11:36 | 四元重美ブログ

“モノ”ではなく“コト”に生きる

先日、地元のFMラジオに出演させていただきました。想い出の一品を持参し、それにまつわるお話しをするというコーナーです。時間にして15分ぐらい、でもさすがプロの話し手ですね。私の想い出話などをどんどん引き出してくれ大変盛り上がり、あっという間に時間が過ぎて行きました。

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私は、昔々、その昔、あるナイトクラブで歌っていた頃の写真と楽譜を持参しました。その頃作った舞台衣装は赤のラメ入りジャケット、クリーム色のパンタロン(ラッパズボンとも言う。今どきこれを知らない人が多いでしょうが…)に蝶ネクタイという出で立ちです。

しかし、残念ながらこの衣裳はほろ苦い青春時代の思い出と共に焼却してしまったのです。それでかろうじて写真が一枚だけ残っていました。(その写真を恥ずかしながら公開します。)

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つくづく衣裳も残しておけばよかったなと反省しましたが、でも写真が一枚残ってくれていてラッキーでした。写真や手紙などその時は何気なく保存したものも時間という空間を経てみると『素晴らしい財産』だということに気づきます。


先の大震災で、亡くなった家族との写真を必死に探しているシーンに何度となく出くわしました。家族にとって大切なものは“モノ”ではなく“コト,想い出”であることをその時ほど痛感させられたことはありません。


私は今、ある経営者団体の広報誌で写真撮影を担当していますが、今更ながら写真の威力を実感しその魅力にはまっています。動画もいいのですがスナップ写真もいい…。

光は自然光がいいか、ストロボがいいか、光はどの方角からの方が魅力的に見えるか、スピードは?露出は?など多面的にあれこれ考えてシャッターを切る。私の腕などプロから見れば幼稚極まりないと思うのですが、しかし、出来上がった写真を見てそれなりの出来栄えだったときなど思わずほくそ笑んでしまいます。

私なりに言い表すと

良い写真は相手から語りかけてくる
のです。私が親しくしているカメラマンからいつも聞かされる言葉に、

写真にはその人の人格がにじみ出る

というのがあります。そう言えば「40歳を超えたら自分の顔に責任を持て!」というのもありました。良い表情は穏やかな心からきっと出てくるのでしょう。

そういう意味からも写真だけでなく、一つひとつの何げないシーン、出来事に気を込めて接し心を高め磨いていきたいと改めて思うことでした。
# by yongenso | 2011-12-26 17:25 | 四元重美ブログ

医療の特殊性それとも…

先日、ある医療機関のホームページの件で打ち合わせに行ってきました。スタッフ紹介のページを更新するためです。今回はスタッフの笑顔写真の集合体を掲載しようと考えたのです。

その理由は、病気を抱えて不安な毎日を過ごしている患者さんがこのホームページをごらんになったとき、安心できるというイメージを与えたかったからです。

特に初めて訪れる患者さんは「どんな病院なの?」と不安に思っておられることが多いためそれを解消したかったのです。(特にこの病院さんの場合は情緒不安定になりがちな疾患を抱えた患者さんが多い。)

そこで、ホームページを訪れた瞬間

「あ、何かこの病院良さそう!」

「優しそうなスタッフが多そう!」


と感じていただきたかったのです。人が病院を選ぶ時技術や実績を重視しますが、特段の病気でもない限りイメージで選ぶ傾向も強くなっています。そこを私は狙ったわけです。

しかし、予期せぬことが起こりました。ある部門のスタッフのほぼ全員が写真に写りたくないと断られてしまったのです。


「これって個人情報じゃないですか…」

「写真は苦手なので…」

「こういうアングルの写真とは思わなかった…」

「恥ずかしい…」


など様々な理由からです。顔写真と名前が一致するような表示にはしない、お客様の立場で考え直して欲しい…、と説得を試みたのですが、結局了解いただけませんでした。

このことは、当人たちに事前に伝えていたのですが、なぜ理解いただけなかったのか?しばし、振り返ってみることにしました。

まず、医療と一般企業との違いについて改めて考えてみます。医療界には


「医療は営利を追求してはいけない」


という不文律があります。これは厳然と医師法に謳ってあります。では、一切現実に医療機関は営利を得ていないかというと決してそんなことはありません。昔は、高額所得者の上位にいつも医師や医療法人がランクされていました。どこか矛盾しているようでもありますが、これが医療スタッフ、特に専門職の方々の心の根底にあるように思います。

ですからスタッフは患者さん自体には真剣には向きあっていても、組織を維持する、必要利益を確保するといった組織特有の論理には若干馴染みにくいのかもしれません。そんな気がします。


また、医療界の人手不足も一因かもしれません。医療機関は法律で厳密にスタッフ数の確保が義務付けられています。このスタッフ数を割り込むと厳罰が下ります。だから、あまり強くモノが言えない。これが企業だとしたら、「方針を理解してもらえないのならとっとと辞めてもらって結構」となるのですが、そうもいかない現実が医療界にはあります。

今回、医療の世界と一般企業の世界の違いを感じたことも事実です。しかし、私は敢えてこれを医療界の特殊性で片付けないことにしました。

一般企業にせよ、医療機関にせよ、

社員と経営者が価値観を共有し、一つの目標に向かって進むことでみんなの気持ちが一体化して組織として大きなパワーとなる。


これは企業だろうと医療機関だろうと同じです。常にそうした努力を我々も常日頃からやっておく必要があります。そうした観点から、

「なぜ、ホームページにスタッフ紹介が必要なのか?」

「なぜ、笑顔の写真が入っていた方がいいのか?」

ということを経営者はもとより、スタッフに至るまで私自身が事前に相手方とすり合わせをして「写ってもいいかな」という雰囲気づくりをやっておくべきではなかったのではないかと反省しました。

私自身、次回そのようなアドバイスまでできるようスキルアップしていこうと思います。
# by yongenso | 2011-10-30 12:04 | 医業PRのヒント